デジタル変革で問い直す、日本の豊かさとは何か

2025.03.27 トレンド

日本が直面する「失われた30年」は、単なる経済的停滞以上の深刻な課題を突きつけています。かつて世界を牽引した日本企業の栄光は色あせ、世界の時価総額ランキングでは、かつて多数を占めていた日本企業は今やトヨタ自動車1社のみが50位以内に名を連ねるのみとなっています。この状況は、経済的豊かさ(GDP)だけでは国の真の豊かさを測ることができないという、重要な教訓を提示しています。

「イースタリンパラドックス」と呼ばれる経済的豊かさと幸福感の非相関関係が明らかになって以来、世界は新たな豊かさの指標を模索し始めました。2009年のサルコジ大統領による幸福度を加味した経済指標の提案や、国連によるSDGsの観点を含む「新国富指標」の発表は、その代表的な例です。日本もウェルビーイングやSDGsの重要性を認識しつつありますが、世界ランキングにおいては依然として遅れを取っているのが現状です。

このような背景の中、北欧デンマークは国際競争力、幸福度、サステナビリティの3つの領域で驚くべき成果を上げ、新たな国家の豊かさのモデルを提示しています。デンマークは、IMDの世界競争力ランキングで2022年に世界1位、2024年も3位を維持し、国連の幸福度ランキングでは世界2位、SDGs達成率ランキングでは世界3位に位置しています。特に、デジタル競争力においては、国連の世界電子政府ランキングで4回連続1位を獲得するなど、デジタル社会形成において卓越した成果を示しています。本稿では、デンマークのデジタル変革(DX)戦略が生み出す理想の社会像と、日本が学ぶべき本質的な変革のポイントを探ります。

デンマークに学ぶ デジタル社会の本質的な変革とは

デジタル変革の真髄は、単なる技術導入ではなく、社会システム全体を人間中心に再設計することにあります。デンマークの成功は、テクノロジーを道具としてではなく、人々の生活に自然に溶け込む存在として捉えている点にあります。行政サービス、医療、企業活動のあらゆる領域で、技術は人間の生活を豊かにする手段として機能しています。

デンマークのデジタル戦略は、表面的な技術やソリューションの導入を超えて、社会づくり、地域づくり、組織づくり、サービスづくりの根本的な哲学の転換を意味しています。「人間中心主義」という概念は、単なるスローガンではなく、社会システム全体を貫く根本的な設計思想となっています。労働生産性や暮らしやすさに真に貢献し、社会に浸透するインパクトを持つデジタルソリューションこそが、デンマークのDX戦略の中核を成しているのです。

人間を中心に据えたデザインの深み

「Borger DK」のような市民ポータルサイトは、子育てから税務申告まであらゆる行政手続きをワンストップで提供する革新的なサービスです。個人の診療情報や処方医薬品のデータを一元管理し、医療機関や薬剤師との間で効率的に共有できる仕組みを構築しています。また、国や自治体、金融機関からの通知文書は「デジタルポスト」と呼ばれる共通のメールボックスに集約され、国民はいつでもどこでも確認できます。

LEGO®社のデジタル変革も、顧客体験を中心に据えたイノベーションの好例です。2004年に開発された「LEGO Digital Designer」は、デジタル上で自由に設計できるツールとして、より自由かつクリエイティブな商品体験を顧客に提供しました。単なる利便性だけでなく、人々の創造性や生活の質を高めることに徹底的にこだわっています。

Queue-it社の「仮想待合室」サービスは、待ち時間を単に短縮するだけでなく、待っている時間自体を意味のあるものに変える工夫の一例です。国際イベントのチケット予約、ECサイトのセール、新型コロナウイルスのワクチン予約など、様々な場面で活用されています。このようなアプローチは、テクノロジーを人間の体験価値の向上に直接結びつける、デンマーク流のデザイン思想を象徴しています。

テクノロジーと人間の調和を追求する

デジタル社会の真の成功は、技術を倫理的かつ人間的な視点で活用することにあります。デンマークは、AI技術の導入においても、人権や倫理を最優先に考えています。2019年に発表された「デンマーク国家人工知能戦略」は、「AIの責任ある開発および利用において、デンマークがフロントランナーとなる」というビジョンを掲げ、人間中心で共通の倫理基盤を持つことを明確にしています。

農業分野では自動栽培ロボット、エネルギー分野では変電所のAIメンテナンス、医療分野では電話の通話内容から患者の心臓疾患の原因を特定するなど、様々な領域でAIを活用しています。しかし、その際に常に倫理的安全性を担保することを最優先としています。生体認証やAIなどのデジタル技術が、人種やジェンダーのバイアス、プライバシーの侵害、誤情報の拡散などの懸念を生み出さないよう、徹底的に配慮しています。

デンマーク国立デザインファームである「デンマークデザインセンター」が開発した「Digital Ethics Compass」は、デジタル製品やサービスの倫理的側面を自己評価するための革新的なツールです。サービスの開始時や継続時に、人権への配慮や意図しないユーザーへの不利益を防ぐための22の問いかけで構成されており、倫理的に配慮されたサービスや製品開発を促進しています。

組織文化が生み出す驚異的な生産性

デンマークの驚くべき特徴は、短い労働時間でありながら、世界トップクラスの生産性を維持していることです。基本的に16時には仕事を終え、残業をしない働き方でありながら、世界競争力ランキングで上位を維持している理由は、「変化への柔軟性」にあります。

「MCOST(Management、Culture、Organization、System、Talent)」と呼ばれる5つの要素が、高い生産性を支えています。コラボレーティブな組織風土、チームエンゲージメント、フラットな関係性、マクロマネジメント、多様な専門人材の活用など、従来の硬直的な組織運営から大きく転換しています。

重要なのは、彼らが「組織のために働く」のではなく、「社会における自分の役割」、「自身のキャリア成長」、「仕事以外の生活や家族との時間の充実」を重視していることです。雇用主も、人材を活かすための組織マネジメントや人事評価システムを導入し、個人の成長と組織の成長を両立させる仕組みを作っています。

日本が描くべき 未来への処方箋

日本がデンマークの成功から学ぶべきは、テクノロジーの形式的な導入ではありません。むしろ、人間、技術、自然が調和する社会システムの再構築こそが重要です。2040年に向けて進行する少子高齢化、人口減少、地域コミュニティの弱体化という課題に対し、デジタル技術をどのように社会に溶け込ませるかを、これまで以上に真剣に考える必要があります。

デンマークのアプローチをそのまま模倣するのではなく、日本独自の文脈で「人間中心主義」を解釈することが求められます。特に、日本の文化的・宗教的背景において、人間中心主義が自然を軽視することにならないよう注意が必要です。テクノロジー・人間・自然の調和を目指す、日本ならではのアプローチが重要となるでしょう。

民主主義の未成熟さや上意下達のガバナンスという従来の課題を乗り越えるため、「人間中心主義」に加えて、「コミュニティ再生」や「自己組織化」の促進も並行して取り組むべきです。多様な価値観や働き方を志向する人材を活かすためには、高い生産性と変化への対応力を持つ組織マネジメントの導入、人材の流動性や多様性を高める労働システムへの転換が不可欠です。

日本の強みである協調性、チームワーク、勤勉さ、細部へのこだわりを活かしながら、変化への対応力を身につけることで、世界と伍する新たな競争力を再構築できるでしょう。テクノロジーは究極的には人間の幸福と社会の持続可能性を支える手段であり、その本質を忘れてはいけません。

本記事はNTTデータ経営研究所の情報に基づき作成作成されています。

Organizer

Yukey
YukeyCatalyst & Director
セールスマーケティング、エンジニアリング、デザインのすべての業務経験をもち、ベンチャー企業特有の僅少リソースでの事業立ち上げに強みを持つ。活用できるナレッジを組み合わせて戦略を練り、自らサービスデザインを行うことで、初期顧客を開拓する。ビジョン経営にも知見があり、社内の制度設計や組織開発、チームの素質を活かした巻き込み型のリーダーシップを武器に、内外の改革を推進する。2022年、国内ビジネススクールにてMBA取得済み、2025年、国内理系大学院にて技術経営課程在籍。